【佐野洋一 水電気分解装置及び水電気分解法で特許取得、
次亜塩素酸水生成装置(三室型電解槽)開発者の経歴】
【写真左:佐野弘久 右:佐野洋一】
1942年(昭和17年)2月3日 東京都港区生まれ、神奈川県逗子市で成長
1960年(昭和35年)3月 神奈川県鎌倉学園高等学校卒業
1964年(昭和39年)3月 慶応義塾大学工学部応用化学科卒業
1964年(昭和39年)4月 昭和電工㈱横浜工場技術課入社
1966年(昭和41年)11月 昭和電工㈱大分コンビナート建設担当
1969年(昭和44年)6月 AAケミカル㈱出向
(昭和電工と米国フィリップス社との合弁企業)
1979年(昭和54年)5月 昭和キャボット㈱出向
(昭和電工と米国キャボット社との合弁会社)
1984年(昭和59年)3月 昭和電工㈱石油化学管理部次長
1986年(昭和61年)4月 昭和電工㈱オレフィン事業部部長
兼昭和キャボット㈱原料部長
1987年(昭和62年)3月 昭和キャボット㈱企画管理部長
1990年(平成2年)11月 米国キャボット社(ボストン)所属
1992年(平成4年)9月 昭和キャボット㈱企画管理部長に復帰
1993年(51才)昭和電工を退職
【佐野洋一の生涯とファースト・オーシャン㈱設立後の業績】
40代前半に、日本で1回目の腎臓移植を受ける。
40代後半に、米国ボストン在勤中に2回目の腎臓移植を受ける。
1995年(53才)ファースト・オーシャン㈱設立 代表取締役に就任
水の電気分解技術の研究開始
2000年(58才)電解水製造法の特許を取得、前後して米国・ECの特許も取得
生成装置「ファインオキサー」を発売 歯科医院に好評だった。
その後の8年間に関連特許4件、実用新案1件を取得
2005年(63才)人工透析週3回となる。 病気と闘いながら研究に没頭していた。
2007年(65才)1回目の心臓の弁交換手術(葉山ハートセンター)
2009年8月(67才)2回目の心臓手術(葉山ハートセンター)
この時の消毒水として、本人が発明した電解次亜塩素酸水を使用
した。 手術当日、佐野弘久は携帯型の生成器を手術室に持ち込み、水を作った。手術は成功した。この水の使用は本人の強い希望であり、自らの身を呈してこの水の素晴らしさを示したかったのです。
2009年11月(67才)米国にある「エコラボ社」(世界170か国へ事業展開している世界的企業)がこの技術を認めてくれて、「特許使用許諾契約」の交渉が進んでいた。書類へのサインは弱々しくなりながら、契約は成立した。 しかし・・・・
同年 11月27日 食べ物が消化できなくなり命運は尽きた.
その後10日ほどして「エコラボ社」から突然、50万ドルの
契約金が振り込まれた。
「僕がこの世に生きた証は、この水を残せたことだ。」
「この水で人類を救済したい」との言葉を遺していた。
【付記】
*以上の記述は2009年12月31日現在
*内容の開示は、佐野洋一夫人、佐野京子氏の承諾あり。
*文責は佐野弘久(中小企業診断士)
*佐野弘久は洋一の従兄で、ファースト・オーシャン㈱設立時から経理を担当。
兼務で彼の電解槽の組立・修理を行ってきた。
*2010年以降の経過、技術内容などは佐野弘久へお尋ね下さい。
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